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集団的自衛権と日本国憲法(浅井基文) 
 『集団的自衛権と日本国憲法』とのタイトルを見ても分かるとおり、現在国会で騒がしい憲法改正の骨子部分に相当する分野について書かれている。第2次世界大戦で周辺国に対する侵略行為を行い敗戦した日本が憲法改正問題に鈍感ではいけない。戦争とは無関係の若者にとってもそうであろう。「平和を維持するための軍事」という人類にとっての究極のパラドックスをどのように捉え、また、発展させていくのか。憲法9条をどこに導いていくのか。各政党は国の屋台骨でもある憲法問題を政治利用・選挙利用するなどして議論のホシを貶めることのないようにしなくてはならない。

 さて、本書の構成だが、自衛権(個別的・集団的)について知識がない人が読んでも、その成立背景や国家にとっての意義が捉えやすいように書かれていると感じた。筆者も力説しているのだが、自衛権という考え方も、国家間の紛争の解決手段として有用な組織と見られている国際連合の成立過程もしっかりと捉えておかないと問題の本質を掴み損ねることになる。
 自衛権の特徴は国家に元々備わる権利と定めているところにある。これは正当防衛の権利を個々の人間が持つようなものと解されており、国家が単独で行える「国際法上正当な」武力発動に他ならないということなのだ。これは大げさに言っているのでもなく、かなりリアルな問題なのだ。
 アメリカで起こった9.11同時多発テロの後、オサマ・ビンラディンの潜伏先と見られていたアフガニスタンが空爆を受けた。実はこの報復はアメリカの個別的自衛権の発動だったのである。あのテロはアフガニスタン政府が国家としてアメリカに仕掛けたものではない。あくまでテロリストが行ったもので、本来アフガニスタンという国家が空爆されるいわれはない。だが、アメリカは自国を守る為に遠く離れた中東に爆撃を加える事が「自衛権」の行使だというのだ。国連事務総長までこれをアメリカの自衛権とすることを容認したという。また、同盟国が危機に陥り自衛権を発動しているところを軍事的に助けることが集団的自衛権の発動である。もし日本に9条の憲法規定がなければ、このアフガン戦争に集団的自衛権を行使して参戦した可能性もないわけではないのである。アメリカにテロが起きて、その報復を中東で行うという自衛権行使に日本が付き合う可能性があるというのは恐ろしいことではあるまいか。

 アメリカの真の狙いは世界戦略の中で日本をどのように活用するかということではないだろうか。その為にはどうしても昔GHQが作った平和憲法が邪魔になってきてしまっているようだ。9条の存在はアジア諸国からも決して低い評価は受けていない。日本の戦前の軍国主義によって国土を荒らされた諸国にとっては、超巨大軍事国家アメリカと同盟している日本が平和憲法を維持してくれることが、アメリカの暴走と独善を少しでも和らげるのを期待しているのではあるまいか。仮に日本が9条を改正し、軍隊を正式に認め、政府首脳が靖国を参拝し、天皇は象徴とはいえ存続し、集団的自衛権の行使も認めるような国家になれば、戦前の軍国主義を想起し相当の懸念を抱くのは当然とも考えられる。日本の9条とはまさにそういう類のものなのである。国民投票法が成立する昨今、憲法改正発議までには3年間のモラトリアムがある。この間に平和憲法が世界にとって有益なものになるためにはどうすればよいのか、真の国際貢献の方途とは何なのか、地球の中でも鋭い地域間対立が懸念されているアジアの安定と平和をどのように築いていくのか。国民的議論がどうしても必要となろう。

 ともあれどのような問題についても言えることだが、この国を覆っている大課題は「無関心」の悪魔である。さほど重要でないことに無関心なのは問題もなかろうが、致命的に危機感を覚えるのは、諸問題の価値を把握することができず、適切に自己の態度を表明することが出来ない無関心層だ。とは言っても彼らもこの国の主権者である。主権者が無関心ということは、国のことなどはどうでも良いという選択をしているのに等しい。無関心をどうにかしなくてはいけない。無関心は結局のところ、戦前のように無謀な戦争を誘発する可能性すら助長しかねない。憲法改正問題も、まずは「無関心」の恐ろしさを打ち倒すことができるかどうかが問われているように思えて仕方ない。政治家はそこにあらゆるエネルギーを投じるべきであろう。「知らないうちに憲法が変わっちゃっていたよ…」などといって後々に後悔するような国民をなんとしてもなくさねばならないのである。
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