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美しい国へ(安倍晋三) 
評価:
安倍 晋三
文藝春秋
¥ 767
(2006-07)
 安倍首相が内閣官房長官時代に出版したのが本書である。知人が持っていたので借りて一読した。

 本としての面白みという観点から言うならば「退屈な本」ということになる。裏書には「この国を自信と誇りの持てる国にしたいという気持ちを少しでも若い世代に伝えたかった」とある。読後感としては特別残るものがあったようには思えないが、安倍首相が考えていることを知りたいのであれば一読する価値はあろう。少なくとも時の総理大臣が何を思い、何を感じ、何を考えてきたのかということは我々国民にとって全く無関係ではないはずだ。だが決して面白い本ではないというのが私の率直な感想であるし、読むほどに疲れたというのが本音だ。安倍さんの見方での歴史の教科書みたいなものだろうか。一言で言えば「創造性に乏しい」のである。

・安倍さんの人柄が透けて見える

 文章を読んでいると、安倍さんという人は政治家というよりも官僚のにおいがする人物であるように感じる。秘めている正義感や物事の捉え方、語り口や引き合いに出す事例などを眺めていると「なるべく美しいロジックを選びたい性格の持ち主」なのではないかと思う。政治家よりも外務官僚か防衛官僚に適しているのではないだろうか。あるいは官房長官という役職は実に適役だったのかもしれない。
 人間には長短あるわけで総理大臣だからといって完全無欠を求めるのは無理であるし、そういう角度からの批判は大概意味がない。小泉前首相との比較もそれほど価値的なことではあるまい。人格としては全くの別物だし、政策を進めていく手法が違うのは明らかである。ただ小泉さんと似たような流れを感じる部分もある。それは政治家として清潔に見えるということだ。小泉さんがあれほどの軋轢を生みながら総理・自民党総裁として大ナタを振るってこれたのは、足元をすくうような醜聞・金権体質が見られなかったからだ。そんなことは本来政治家としての基本なのだろうが、小泉さんはそこに関してそつがなかった。長い間、国民の支持を取り付けてきた大きな要因でもあろう。安倍さんに関して実際がどうなのかこの本からは知るべくもないのだが、少なくとも金権政治とは縁遠く見えるし、強権を振りかざして弱者に圧力をかける風もない。そういう意味で「自民党は変わった」とも言えなくもないかもしれないが、国民生活がどう向上するかということとはもちろん別の次元の問題である。

・憲法改正について

 安倍さんは常に憲法改正問題について言及している。自民党が結党されたのは昭和30年前後、社会党が大きな力をつけてきたことに対する危機感から大同小異の見地に立ち民主党と自由党が保守大合同を図ったことに加え、戦後GHQに作成された日本国憲法を日本国が自主的に改正・制定することを構想したことによる。その系譜を健全に引き継いでいると自認する安倍首相が憲法改正に力を注ぐのは彼のロジックとして真っ当なのであろう。特に戦争放棄を謳った9条が持っている国際社会情勢との違和感が彼を強烈に動かす要因であることは本書からもにじみ出ている。今まで集団的自衛権の問題、国防の問題、国際間協力における日本国(自衛隊等)の行動規制問題などに直面した際に、日本は憲法の解釈運用での波乗り的解決を図ろうとしてきた。こうした日本の選択は安倍さんの考える「美しいロジック」とはどうしても相容れないのだとはっきり宣言しているのだと思われる。だから9条は是が非でも自分の政権時に改正しておきたい。そんな意気込みを感じるのである。
 とはいえ、自公連立政権である以上は改憲問題は公明党との意見調整が避けられない。現状では公明党の太田代表は集団的自衛権は認めず、9条(に限らないが)は加憲することでその完成度を高めようと考えているようだ。実際のところ国際社会の一員として日本が採れる行動の範囲は大きいにこしたことはないのだろうが、武力に結びつくような連想を抱かせる行動に慎重な公明党との妥結はそれほど容易ではないのかもしれない。
 加えて同盟国でもあるアメリカのような超大国が軍事行動を起こした際、「国際協力」の美名の下に正義を正確に担保できるのかどうかという由々しき問題がある。これは国連決議を要件とすることが求められるであろうが、仮にアメリカの単独行動に対して「9条改正により自由の効いてしまう憲法になった日本」は同盟国の依頼を戦争内容により拒否することができるであろうか。イラクに難癖をつけて大量破壊兵器がなかったことがはっきりした今、あの戦争への正当性をとことん突き詰めることは可能だろうか。あの時期に憲法9条において集団的自衛権が明文化されていたなら、日本は武力を行使したかもしれないのである。そうなった時に後には決して戻れない。下手をすれば平和国家日本がアメリカと共に泥沼の対立関係軸に据えられる可能性もある。それが果たして最終的に日本という国家を防衛することになるだろうか。そこは十分に議論を尽くしてもらわねばならない。今は専守防衛の9条があるからアメリカにすら「戦後あなた達GHQが作った憲法を我々日本は素直に遵守しているのです。いかなる戦争にも直接協力はできません。それを今になって翻せと言うのはいかがなものか?」とも主張できるのだ。もちろん国際社会は常に動いているし、その流動性は激しいものだ。憲法も恒常不変であり続けるものだとも思ってはいない。だが、こと9条に関しては安倍さんが考える「美しいロジック」ばかりが正しい答えではないだろう。美しいロジックは時に「法に保障された無責任」を喚起しかねない。つまり「法の範囲内だから何でもあり」のようになると、人類の一員としての「痛み」を忘れかねないのである。今9条で揉めているのは人間を傷つける可能性を否定しきれないからであり、この揉め方はどうしてもやむを得ない部分もある。だからこそ自民党・公明党のみならず、野党も真剣に討議をして党利党略などではなく健全な憲法をこの国に持たせてもらいたいものだ。その最終判断は国民が行うことになるわけだが、野党が国民投票法案にまで反対するのはあまり理解できない。改正の手続きをする法整備すら認めないというのは如何なものかと思う。
 ごく個人的に述べるならば改憲・護憲のどちらが正しいというよりは、第3の道を模索してもいいのかもしれないなと国民の一人として感じるところである。あるいは集団的自衛権に関しては一定範囲の地域内に限って認めることを良しとしてもいいかもしれない。日本の安全保障を考えるために集団的自衛権を整備しようとするわけだから、常識的に考えてあまりにも日本から距離の離れた地域は対象外としておくべきであろう。安倍さんにはどのような考えがあるのかこの本では奥深いところまでは書かれていないが、その辺の認識がどうなっているのかは知っておきたいところである。

・ナショナリズムや教育論について

オリンピックやスポーツ競技等の国際大会を例に挙げて、国民に内在しているとするナショナリズムの本質に迫ろうとしている点など今時の若者が理解できるように工夫した結果なのだろうが、少し表層的な解釈に止まってしまうような気もしないでもない。安倍さんは太平洋戦争を経験したことによる自虐と思われるほどの反省や嫌悪感がいまだ国民に強く残っており、国威発揚に関する事柄には強烈な拒否感が宿ってしまい「国を愛する」という国家にとっての正当性すら否定しかけていることに不安を抱いているようだ。確かに戦争という過去に縛られて未来を志向できないことは日本にとって好ましいことではなかろう。だが、「国を愛するということへの拒否感があるのは戦争の傷あとがあるから」という論理は果たして本当に妥当だろうか。
 私はナショナリズムへの拒絶感は戦争体験によるものよりも、新しい世代が大人達を信頼できなくなったことに起因するのではないかと見る。これは教育論にも言える事で、私も近代教育を受けてきた子供の一人として実感するのは教育内容が「詰め込み」とか「ゆとり」とかそのようなことによって人間形成の問題が起きるというよりは、「大人たちへの不信」が子供をおかしくしているのではないかと考える。信頼すべきものに失望し、子供が何を信じて良いのかわからなくなったら彼らはおかしくなるに決まっている。それくらい親が社会が大人がおかしくなっていたのではなかろうか。安倍さんは本書で教育はガンガン詰め込む形をとって評価を厳しくし、学校や先生そのものにも評価の網をかけてふるいにかけるような仕組みが望ましいと言うようなことを書いている。その引き合いに出されていたのがイギリスのサッチャー首相が行った教育改革の実例である。
 教育の中身は当然議論されるべきであろう。現状が完璧なわけがない。だが子供がいびつな反応を示すのは教育内容云々もそうだが、彼らの周囲にいる大人たちの態度や性格、振る舞いに強く影響されているものと感じるのだ。それを教育の問題だけに収束させようとすると大きく道を踏み外すのではないかと思うがどうだろうか。つまり子供の問題というのは大人のあり方の問題ではなかろうかということだ。日本は経済大国と呼ばれるまでの国家になった。だがそうした日本を創出するために働き続けた大人たちは一体どのような家庭を持ち、子供にどのような環境を提供し、政府は未来を担う子供達にどんな配慮をしたのか。問題は明らかに大人の側にあったのではないか。

 子供を良くしたいのなら、世の大人よ、少しはまともになれ。
 大人をまともにしたいのなら、世の政治家よ、だらしなさ過ぎるぞ。

 長くなり過ぎた。この辺で終わろう。

 蛇足だが、再チャレンジに道を拓くという安倍さんの意気込みは買いたいと思う。人間は何度でも立ち上がる事ができる生き物だ。それを政策として補助するという考えは良いことだ。社会にあきらめよりも活力が涌きやすくなる。活力ある社会には未来があろう。再チャレンジは安倍さんらしい取り組みと言えるだろう。がんばってもらいたい。
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公明党
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